シンガポール訪問記(中学部編)

5月の中旬、日本はさわやかな風薫る頃、常夏のシンガポールに行ってまいりました。

ここシンガポールはかつて居住していた思い出の地でもあります。

東南アジア随一の先進国であり、高層ビルが立ち並びます。

2年ぶりの訪問でしたが、知らない地下鉄の路線ができていたり、道路が新しくなっていたりと日々変化を続ける都市です。

 

さて、そんなシンガポールには日本人が36,963人(H27在シンガポール日本国大使館発表)が暮らしています。そして日本人学校が3校(小学部2校・中学部1校)あります。その他にも日本人幼稚園や、とある大学系列の高校があります。在留邦人は年々増加しており、それに伴い、日本人の児童生徒数も年々増え続けています。

 

そこで、古巣でもあるシンガポール日本人学校の保健室をアポなし?!取材させていただきましたので様子をお届けします。

 

<中学部編>

中学部はシンガポールの南西側に位置しています。生徒数は482人(H28:学校HPより)

休み時間にお邪魔させていただきましたが、来室者はゼロでした。広くはありませんが、整然として、落ち着いた雰囲気の保健室です。

 

生徒について養護教諭の平塚先生にお伺いしました。

「学力は高いです。生徒の多くは塾通いをしており、寝不足もあり疲れています。体力面では、部活動も曜日が限られており、日本ほど運動の機会が多くないことから、日本の平均を下回るなど体力は劣るのですが、優しく頑張り屋が多く、何事にも一生懸命取り組む生徒が多いです。」

 

平塚先生は、寝不足で疲れている、という健康課題を解決すべく、昨年度昼休みにお昼寝の時間を設けるなどの対策を行ったそうです。生徒からの反応もよく、今年からはさっそく年間計画に組み込んで学校全体で実施する予定だそうです。

この対策は管理職とも連携を取り合い、常に健康課題を共有しあっているからこそなんでしょうね。慣れない外国で暮らす生徒の健康について一番に考え行動されている平塚先生がキラキラして見えました。

中学部の平塚先生。突然の訪問であったにも関わらず、快く迎えてくださいました。ほんわか柔らかい雰囲気の中にも芯のある素敵な方でした。ありがとうございました。

 

次回は、アイディアいっぱい小学部の保健室です。お楽しみに。

(黒田)



出会いはワシントンDCで

2014年8月、中村特派員は、前嶋明美さんを訪ねて、ワシントンDCに行きました。初のアメリカ!!
様子は本ブログのこちらから→http://ski.skill-ladder.com/?eid=56
その前嶋さんから、今年もお誘いです。

中村特派員は今年は、国際スクールナース学会(サンフランシスコ)へ参加するため、ワシントンDCに行くことはできません。
以下、お誘いを転記します。ご興味がある方は、直接前嶋さんに連絡をしてください。
ーーーーーーー
国際的視野をもって日本の養護教諭および学校保健の研究を深めてみませんか?
平成29年8月19日(土) 12時〜
場所:トトロハウス 155 Totoro way Bunker Hill, WV 25413 USA
内容:合宿形式のミーティング US在住WJWN(Washington Japanese Women's Network、ウェブで検索可)の皆さんと合流ミーティングを予定。
・ワシントンDC及び周辺の見学、見聞、観光
連絡、その他
空港送迎から案内、宿泊(ホテル、別荘トトロハウス)まで、私が全部お世話いたします。経費は滞在一週間として、飛行機代+滞在実費4〜5万円くらいです。8月19日が、初日か最終日になるように日程が組めれば最高です。送迎の関係上、飛行機はANA東京(成田)⇔ワシントンDC(ダレス)をご利用ください。ご連絡、お問い合わせは次にお願いします。
前嶋明美
メール akemimaeshima@gmail.com
電話 301-330-1238 (日本からは頭に0010101をつける。留守電になっていますので、かならず簡単なメッセージを残してください。)
住所 333 Elmcroft Blvd., #304 Rockville, MD 20850 USA

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
SLIPER(すりっぱ)のHP:http://skill-ladder.com/
ブログ:http://ski.skill-ladder.com



廣瀬ます先生がくださった出会い

以前このブログで廣瀬ます先生のお墓参りの記事を掲載したところ、仙台の菅澤先生から連絡がありました。

そして菅澤先生が廣瀬ます先生「顕彰碑」をたずねるというレポートをまとめてくださったのです。

記事はこちらから → http://ski.skill-ladder.com/?page=3

 

菅澤先生は仙台市内で養護教諭をしているとのことから、「今回の仙台学会でお会いできれば」と連絡をしていたのですが、中村会長&DJ高橋ともに、いつものようにバタバタしており連絡が取れずにいました。

学会で、ポスター発表を終えると、学会事務局の方から「中村先生にお届け物が届いています」と声をかけられたのです。

なんと菅澤先生が学会来てくれた!!

そこには、メッセージと差し入れが入っており、私たちの心を温めてくれました。

急遽、菅澤先生に連絡を取り、次の日のお昼に学会会場でお会いすることができたのでした!

「赤いカーディガンを着ているのが私です」というようなメールのやり取りをし、無事にお会いできました。

初めて会うというよりも昔から知り合いだったような、、、、不思議な感じでした。

廣瀬ます先生について、力強く語り合うDJ佐和子と菅澤先生。

今後も交流していきましょうとお約束しました。

また、先生が震災で経験したことをまとめたレポートも読ませていただきました。

子どもの心、体のみならずそれを支える教職員へのサポートなど多岐にわたる仕事ぶりにも感銘を受けました。

 

「養護教諭魂」は日本中どこでも共通だと実感しました。

こんなふうに素敵な養護教諭との交流をもっと広げていきたいと思いました。

スリッパと交流してくださるという先生方、ぜひご連絡ください!→sawako@skill-ladder.com



ます先生がくれた出会い:廣瀬 ます先生「顕彰碑」をたずねる

8月の終わりから9月の初め頃、ブログで廣瀬ますの足跡を巡る旅について書かせていただきました。

それから数ヶ月経ったある日、思いもかけないことが起こりました。

仙台で養護教諭をされている菅澤先生から、「ます先生のお墓の場所、行き方を教えて欲しい」とのことでした。

 

ブログを読んでいてくださる方がいること、ご連絡くださったことが嬉しくて、

一生懸命お答えしたつもりですが、ブログに書いた通り以上のことは覚えていない状態でした。

 

それからまた数ヶ月経った昨日、菅澤先生からすごいレポートが届きました!

そこには、ます先生のお墓(正式には保護者の方々が立ててくださった記念碑「顕彰碑」)への

道順が詳細に書かれていました。

これなら岐阜に初めて行った方でも簡単にたどり着くことができるでしょう。

 

今回、菅澤先生にご了解いただきましたので

その内容をここに掲載させていただきます。


廣瀬 ます先生「顕彰碑」(岐阜市)をたずねる:菅澤麻子先生

 

【岐阜へ】
2016年10月20日(木)・21日(金)に,岐阜市で開催される「平成28年度学校環境衛生・薬事衛生研究協議会」へ仙台市学校保健会から派遣されることになり,岐阜へ出かけることになりました。
「岐阜といえば…廣瀬ます先生よ!」岐阜で,広瀬ます先生の顕彰碑をたずねたことがあるという先輩養護教諭の先生のアドバイスもあり,出張の移動日(10月19日)を利用して,縁の地をたずねて資料を閲覧してきました。

 

【日本最初の学校看護婦】
廣瀬ます先生は,日本で最初の学校看護婦とされていますが,それは,1909年(明治42)11月に,市負担の学校職員として,岐阜市京町小学校の専任学校看護婦として採用されたことによります。
これ以前には,医師の補助や短期間の雇用形態の学校看護婦は存在していましたが,先生は,1908年(明治41)に,岐阜県立病院から派遣されてから,1935年(昭和10)まで,28年にわたり継続的な業務を行い,子ども達への保健指導の役割も担いました。
現在,京町小学校は,2008年に近隣の小学校と合併し,岐阜小学校となっています。

 

【生い立ち】
廣瀬ます先生は,1884年(明治16)1月1日生まれ。戸籍では「廣瀬ますの」と記載さているとのこと。助産婦の資格を持ち,依頼があればお産の手助けもしていました。助産活動をした家庭に,腸チフスにかかっている人がいたために,腸チフスに感染して,1935年(昭和10)4月2日に岐阜市立病院にて,現職のまま52歳で亡くなられたとのことです。

 

【顕彰碑】

亡くなられた年,京町小学校父兄会一同として,共同墓地にある先生の墓石の傍らに追悼の碑が建てられました。碑は,岐阜市齋苑 上加納山墓地にあります。現在,お墓は長野県に移されているとのことです。

【どうやって行くの?】
岐阜には行ったことがないし,時間もないし…で「顕彰碑のあるところまで,どうやって行くの?」と調べてみたところ,スキルラダー研究会HPに, SLIPER BLOG「広瀬ます」の足跡をめぐる旅(その3)を見つけました。ご迷惑かな…と思いつつご連絡してみたところ,聖隷クリストファー大学 高橋 佐和子先生より,丁寧に「顕彰碑」までの道順をおしえていただきました。ありがとうございました。
岐阜市ホームページには,「上加納山墓地」の案内と地図が掲載されています。
住 所 岐阜市上加納山4717番地4 管理事務所 058-245-0228(岐阜市斎苑内)

 

【交通案内】
岐阜バス:金園町九丁目バス停下車 徒歩15分
タクシー:「名鉄岐阜駅」「JR岐阜駅」より車で10分。(タクシー1300円くらい。)
「岐阜市齋苑」へと伝えた方がわかります。(墓地は広く,どこで降りるの?となります。)
「岐阜市齋苑」に到着したら,第2駐車場から「8号地」の通路へ入ります。
大きな木が目印になります。碑は木の左側にあり,墓石より大きいのですぐわかります。

※廣瀬ます先生を知る資料が,次の施設で閲覧できます。(コピーもできます。)
【岐阜市歴史博物館】「京町小百年」岐阜市立京町小学校(昭和48年)
【メディアコスモス(中央図書館)】「ぎふにすだつ心」岐阜市教育委員会(昭和33年)


 

 



「広瀬ます」の足跡をめぐる旅(その3)

養護教諭界のパイオニア、広瀬ます先生の足跡をめぐる旅、第3弾です。

前回では、広瀬ます先生の業績を調べるべく、岐阜市歴史博物館と岐阜市立中央図書館を訪問したところまでご紹介しましたね。

今回は、広瀬ます先生のお墓参りの様子をご報告します。

 

その日は、よく晴れた夏の日でした。

朝から、岐阜駅近くにある、老舗パン屋さんでパンを買い、上機嫌で一日をスタート。

 

予想最高気温35度、暑くなる前に向かおうと岐阜市上加納山にある、市民共同墓地へと向かいました。

午前10時ころ到着、墓地を眺め、その広さに唖然。

流れる汗もそのままに、一目お目にかかりたいその一心で、墓石を探し回ること約1時間。

 

おられました。

悠然とそこに佇んでおられました。

猛暑の中を歩き回ったせいもあって、その感激もひとしお。

広瀬先生のようなカリスマ養護教諭への道の遠さを表しているかのような道のりでした。

 

お花とお線香をあげて、お参りさせていただきました。

「勝手なお願いかもしれませんが、どうか、これからも全国の養護教諭をお見守りください。」

そんなことを思い、手を合わせたのでした。

 

補足:正確には墓石ではなく、当時の父兄会が立てた追悼の碑です。ます先生のお墓は長野県にあるそう。



「広瀬ます」の足跡をめぐる旅(その2)

「広瀬ます」の足跡をめぐる旅第2弾は、資料収集についてお伝えします。

 

歴史上の偉人を調べるなら・・・

そう、歴史博物館!

岐阜公園の一角にある岐阜市歴史博物館。

噴水が印象的でした。

駐車場から徒歩10分くらいのところにあるのですが、この日は猛暑。

写真を撮る元気がありませんでした。

詳しくはWebで→http://www.rekihaku.gifu.gifu.jp/

 

しかし、さすが博物館。一歩入るとクーラーでひんやり。

受付で、尋ねました「広瀬ますについて調べているんですけど、」

すると意外な答えが・・・「え?それ、だれ?」

ショックでした。

岐阜市であっても、「広瀬ます」は一般には知られていないようでした。

 

しかし、学芸員の方が非常に親切に調べてくださり、

「京町小百年」(1973)などの貴重な資料をゲットできました!

京町小は、ます先生が勤務していた学校です。

「京町小百年」には、先生の業績の読みとれる文章が複数掲載されていました。

保護者会がます先生の偉大な業績を偲んで墓石の傍に追悼の碑を建てたことも書かれていました。

いかに子どもや保護者に慕われていたかが伝わってきました。

 

博物館で「図書館に行くと他の資料がありますよ」と教えていただき、図書館へ向かいました。

図書館は移転したばかりで少し迷いましたが、とても近代的な建物です。

http://g-mediacosmos.jp/lib/

中にはコーヒーショップやコンビニもあります。

天井には電気がないのに明るく開放的なスペースでした。

ここでも広瀬ますの名前は知らないようでした。
しかし、「ぎふにすだつ心」(1958)が見つかりました。
この本は岐阜市の教育委員会が作成した道徳の副読本です。
ここには「愛のあしあと」との題名で、ます先生の生い立ちから活躍の様子までが書かれています。
幼い頃、天然痘を患い九死に一生を得たこと、一生を気の毒な人のために尽くしたいと看護師と助産師の免許を取ったこと、
京町小学校へ赴任し、トラホームの感染拡大防止のために一軒一軒回って教育したことなど。
ます先生の実践のうち、この本でもっとも大きく取り上げられているのは「愛の救急車」です。
こちらは是非、岐阜を訪ねてお読みください!
パイオニアというのは、すごいパワーを持っている人なんだなぁと。
公私もなく昼も夜もなく子どものために活動し、
何もないところから全てを作り上げてきたます先生あってこそ、
今の養護教諭があるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「広瀬ます」の足跡をめぐる旅(その2)

「広瀬ます」の足跡をめぐる旅第2弾は、資料収集についてお伝えします。

 

歴史上の偉人を調べるなら・・・

そう、歴史博物館!

岐阜公園の一角にある岐阜市歴史博物館。

噴水が印象的でした。

駐車場から徒歩10分くらいのところにあるのですが、この日は猛暑。

写真を撮る元気がありませんでした。

詳しくはWebで→http://www.rekihaku.gifu.gifu.jp/

 

しかし、さすが博物館。一歩入るとクーラーでひんやり。

受付で、尋ねました「広瀬ますについて調べているんですけど、」

すると意外な答えが・・・「え?それ、だれ?」

ショックでした。

岐阜市であっても、「広瀬ます」は一般には知られていないようでした。

 

しかし、学芸員の方が非常に親切に調べてくださり、

「京町小百年」(1973)などの貴重な資料をゲットできました!

京町小は、ます先生が勤務していた学校です。

「京町小百年」には、先生の業績の読みとれる文章が複数掲載されていました。

保護者会がます先生の偉大な業績を偲んで墓石の傍に追悼の碑を建てたことも書かれていました。

いかに子どもや保護者に慕われていたかが伝わってきました。

 

博物館で「図書館に行くと他の資料がありますよ」と教えていただき、図書館へ向かいました。

図書館は移転したばかりで少し迷いましたが、とても近代的な建物です。

http://g-mediacosmos.jp/lib/

中にはコーヒーショップやコンビニもあります。

天井には電気がないのに明るく開放的なスペースでした。

ここでも広瀬ますの名前は知らないようでした。
しかし、「ぎふにすだつ心」(1958)が見つかりました。
この本は岐阜市の教育委員会が作成した道徳の副読本です。
ここには「愛のあしあと」との題名で、ます先生の生い立ちから活躍の様子までが書かれています。
幼い頃、天然痘を患い九死に一生を得たこと、一生を気の毒な人のために尽くしたいと看護師と助産師の免許を取ったこと、
京町小学校へ赴任し、トラホームの感染拡大防止のために一軒一軒回って教育したことなど。
ます先生の実践のうち、この本でもっとも大きく取り上げられているのは「愛の救急車」です。
こちらは是非、岐阜を訪ねてお読みください!
パイオニアというのは、すごいパワーを持っている人なんだなぁと。
公私もなく昼も夜もなく子どものために活動し、
何もないところから全てを作り上げてきたます先生あってこそ、
今の養護教諭があるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「広瀬ます」の足跡をめぐる旅(その1)

養護教諭なら誰もが知っている「広瀬ます」(1884-1935)。

公費による学校看護師第1号とテキストにも書かれています。

テキストに載るほどなのだからカリスマであるには違いないのですが

どんな活動をされていたのかはよく知りませんでした。

 

そこで今回の「カリスマ養護教諭を巡る旅」のターゲットを「広瀬ます」先生に決めさせていただきました。

 

「ます先生」が活躍されていたのは岐阜県岐阜市。

まずは、勤務されていた京町小学校を訪れました。

ご覧の通り、近代的な学校と公民館が建てられていました。

残念ながら、ますの足跡は見られませんでした。

 

京町小学校は住宅地にあり、周りは昔ながらの細い道が入り組んでいました。

きっとこの地域の方々にも愛されていたのではないでしょうか。

手がかりがつかめず、後ろ髪を引かれつつ次の地へ移動しました。

 

京町小学校は2008年、金華小学校と統合し、岐阜小学校となりました。

岐阜小学校にも行ってきました。

岐阜小学校の児童昇降口には「まず健康」の文字が掲げられているとか・・・。

伺ったのは土曜日でしたので、残念ながら外から眺めるだけでした。

 

スタートはこんな感じでなかなか広瀬ますの情報をつかむことはできません。

広瀬ますが亡くなって既に80年が経過しています。

しかし、業界の偉人ですから歴史的資料が残されているはず!

次は、それらを探しに行くことにしました。

 

そのレポートはまた次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



第4弾!養護教諭・スクールナース合同セミナー報告

セミナー報告、ちょっとご無沙汰してしまいましたが
今日は、グループ討議についてご報告します。

以下の4つのテーマについて、ワールドカフェ方式で話し合いを行いました。
・緊急時対応について
・保健室経営・健康診断について
・子どもの人権について
・アタマジラミについて

日本の学校とインターナショナルスクールの違いを知る中で、
学ぶべきことも多かったのですが、
養護教諭はスクールナースとは違う職業なのだなぁと強く感じました。

養護教諭という職を見つめ直す機会と成りました。
皆さんも、ぜひ参加されてはいかがでしょうか?
そして、養護教諭という職について、一緒に考えましょう!

ここからはおまけコーナー

こちらは、亀井さんの仕事着のスクラブコレクションです。

可愛い柄、刺繍が入っていて欲しくなってしまいました。

こちらは行事の時などに着るそうです。

どこにいても目立ちますね。
真似したい工夫です。

(高橋)



 


第3弾!養護教諭・スクールナース合同セミナー報告

今日は、セミナーで発表された「アタマジラミ」の
最近の動向についてお伝えします。

ちなみにシラミは英語でなんというか知っていますか?
Liceです。アタマジラミはHead Liceになります。
日本人だと発音はライス。
シラミの卵がご飯粒の形に似ていることとは関係ないと思います。

東京理科大学薬学部の小茂田昌代教授とその学生さんが「英語」で発表されました。

沖縄の調査ではシラミ駆除をする人の約90%が学童とのことでした。
頭同士をよく近づけることがその原因ではないかとおっしゃっていました。
また、シラミ駆除の薬の種類が日本では非常に少ないことが問題としてあげられました。
薬品への耐性のあるアタマジラミが出たら対処できないというのです。

アタマジラミの薬は日本では2製品しかないのに比べ、アメリカでは10種類以上あり、一般に購入できる低刺激のものから医師の処方する高濃度のものまで選択できるそうです。
そこで小茂田先生たちの研究グループでは、日本でもアタマジラミ駆除薬により多くの選択肢が持てるよう活動されているのです。


しかし、どうして今ごろアタマジラミ?と養護教諭である私は思いました。
スクールナースたちに聞くと、インターナショナルスクールでは対応に苦慮しているとのこと。
長期休暇で自国に帰るとシラミを連れてくることが多く、日本とは違う文化や環境でさらにそれが広がるようです。
例えば・・・
*友人宅へのお泊まり会がよくある
*教室にクッションやカーペットがある
*髪の色によっては成虫や卵が見つけにくい など

アタマジラミが見つかると即早退、駆除の確認が取れるまで出席させないという対応を取るところもあるそうです。
厳しい・・・。
日本では通常通り生活していますよね。

同じ地域にいる子どもでも家庭・生活環境などの背景によって現れる課題も違ってくるんですね。
当たり前かもしれませんが、改めて感じました。

次回は、討議の様子をご紹介します。

(高橋)









 


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